紅生姜の天ぷら

 関西に移住したとき、食習慣がいろいろ違って、驚いたり、首をかしげたりしたものだ。

 最も驚いたのは恵方巻。平成初頭のことで、そんなもの郷里にも、それまで住んでいた東京にもなかったから。それが、いつの間にやら全国区の風習になってしまった。自分は絶対に食べない。

 それで紅生姜の天ぷらだ。なんでこんなもんを作って売る?と思ったものだ。紅生姜の天ぷらってば、自分のイメージとしては関西の公設市場に入ってる惣菜屋さんが売るもの。

 

 さて『吉兆味ばなし』に、こんな記述がある(旧版p.177):

 昔は一戔揚げといって、おそうざい屋さんで、ごぼう、れんこん、さつまいも、紅しょうがなどを、ジャーッと揚げて売っていました。

 湯木貞一が「昔」と言うなら大正末期から昭和初期のことだろう。値段が一戔(銭)というのも、だいたいそれぐらいの時期だ。「おそうざい屋さん」というのも、こじんまりした商店街や公設市場にある店だろう。だいたい自分のイメージに合ってる。

 

 それにしても紅生姜を天ぷらにして惣菜として売るというのが…あれはご飯のオカズにしかならない。

 しかしこの時代の日本人は、たんぱく質のかなりの部分をコメから摂取していた時期であって。

 たとえばカレーライスに付き物の福神漬。あれは酒悦が元祖とされているが、その酒悦の元祖・福神漬を食べたら、ひどくしょっぱくて驚いたものだ。もともとしょっぱいものであり、カレーライスに福神漬というのも、実際のところは現代以上にごはんの量が多くて、そのごはん部分を食べるために福神漬が添えられたという説がある…これには諸説あって、軍隊の福神漬は酒悦のものより甘かったとも言われる。ともあれ時代が下るにつれ塩味が抑えられ甘味が増し、現代のカレーライスとマッチする味加減になったそうだ。

 

 それはさておき紅生姜の天ぷらだ。白いご飯に紅生姜の天ぷら…昭和初期の関西の都市部の庶民の食べ物だよなあ。私のイメージは平成ヒトケタ時代、まだまだ公設市場が健在だった時期の、その公設市場に入ってる惣菜屋が売る品物。

 しかし時代は令和となり、関西でも公設市場は絶滅危惧種。コメを大量に食う時代はとっくに過ぎた。私としては、こういうのは昭和30年代までのものであり、令和となっては時代錯誤と言って差し支えないと思うのだが。それなのに令和の世にあっても紅生姜の天ぷらは関西で健在のようだ。