ホワイエについて

市民会館みたいなところの入り口のところのロビーに「ホワイエ」なんて名前が付いてることがある。なに語なんだかよくわからない。
ところが先日ふと、これが英語の foyer なのを知った。発音はフォイヤ。何をどうすればフォイヤがホワイエになるのかが更に謎となった。
西ヨーロッパ諸国の言葉で何になるのかGoogle翻訳で調べてみた。そしたらスペイン語・ポルトガル語では vestíbulo らしいが、それ以外はやはり foyer で、発音もフォイヤ。
英語で vestibule はあまり一般的な言葉ではないようだ…
さらに調べたら
https://dictionary.cambridge.org/dictionary/english/foyer
https://web.archive.org/web/20180616202613/http://dictionary.cambridge.org/dictionary/english/foyer
どうもイギリスの発音ではフォイエイなのらしい。フォイエイがなまってホワイエになったのだろう。昭和時代はイギリス英語こそが正しい英語とされてたからなあ。
宝くじ百万円
宝くじは年に一回か二回、気が向いたときに買う。ハズレたことしかない。それが、100万円当たった。

宝くじ公式ウェブサイトを見たら、100万円超だと印鑑が要るけど、100万円だから要らないみたい。みずほ銀行へ。
番号札の受付の人に聞いたら、店の外側の宝くじ売り場で明細書をもらってきてくださいと。おそらく銀行の中には、当たりくじが本物か偽造かを判定する機械がないのだろう。指示通りに当たりくじを差し出したら、くじと明細書をパウチに入れてくれた。

それをまた番号札の人に見せたら、番号札を発行してくれて、お待ちくださいと。順番が来て窓口に行ったら、まずくじの裏側に住所氏名を書けと。

はずれたことしかないから、くじの裏側なんてきちんと見たことない。確かに住所氏名の記入欄がある。それと支払い依頼書を書く。

それで、しばらくお待ちください。10分ほど待ったか、呼び出された。そしたら

帯封つきの札束で渡された。キャッシュレスのご時世に札束って、何だかなあ?「おめでとうございます」。高額なんだか何なんだか良くわからない。みずほ銀行の口座は持ってないから、近くの別のメガバンクのATMで預け入れ。
この100万円は、もう使った。だから書くのだ。
雑感: We Didn't Start the Fire
普通は飛行機を使うところを新幹線で移動してて、この曲が思い浮かんだ:
帰宅して検索したら
ameblo.jpというブログが上位にヒットした。歌詞の翻訳なんだけど。サビの部分があれ?と思った。
原詞は
We didn't start the fire
It was always burning
Since the world's been turning
We didn't start the fire
No we didn't light it
But we tried to fight it
ブログ主の翻訳は
僕らが火を起こしたわけじゃない
この世の始まりから存在していた
僕らが始めた訳じゃない
でも、何とかしようとした
これ、ねえ。最後んとこの fight がキモ。
現代アメリカ英語で「消防士」は fire fighter という。それからすれば fight it というのは、火事を消火するという意味合い。したがって、このくだりの fire は単なる火ではなく火事ということになる。
ぼくらのせいで火事になったんじゃなくて、最初っから燃えてた、でも頑張って消そうとした、というニュアンス。
だから私が訳するなら
僕らのせいで火事になったんじゃない
地球が回り始めた時からずっと燃えてたんだ
僕らのせいで火事になったんじゃない
違う、僕らが火を付けたんじゃない
でも頑張って消そうとしたんだ
になるねえ。
徒然草の桜
徒然草で桜といえば137段「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは」が良く知られているが、161段に以下のような記述がある:
本年2025年を基準に見てみれば、冬至から150日といえば5月20日。ひどく遅い。
当時と現代とでは二十四節季の区切り方が違うので、日付が少しズレることをご承知いただきたい。
今も昔も二十四節季の起点は冬至。昔は冬至から次の冬至までを単純に24等分していたが(恒気法)、1844(天保15)年制定の天保暦以降は太陽に対する地球の軌道の位置で24等分する(定気法)。地球は楕円軌道で、夏至の頃は遠日点ぐらいになるため地球の動きが遅く、節季と節季の間が長くなる。以下、二十四節季の計算は「こよみのページ」 https://koyomi8.com/index.php による。
さて時正とは昼と夜との時間が等しい日のことで、ざっくり春分・秋分のことだが、実は春分秋分からズレる。京都御所を基準として2025年の春の時正を計算したら、おおよそ3月17日。ここから7日となると3月24日で、現代とだいたい同じ。
当時のやり方の立春は「こよみのページ」によれば今年は2月5日なので、そこから75日となると4月21日。ずいぶん遅い。
ウェザーニュースの記事で、こんなのがあった:
桜は平安時代には園芸品種が作出されるようになったとのことだが、当時はまだまだ野生種が多かっただろう。上の記事では画像が飛んでいるから、画像部分を再掲:
いわく、
また鎌倉時代以降に鎌倉周辺に自生するオオシマザクラが栽培されるようになり、これが京都に持ち込まれたと考えられており(後略)
上の画像に、オオシマザクラの開花期は4月上旬とある。そうすると兼好の言う立春より75日、2025年の4月21日とおおむね一致する。
いにしえの大麻に関する記述
なんか昔あったなぁと心にひっかかっていたのだけど、最近ようやく再ヒット。江戸時代にも大麻の芽に向精神作用があることが一部で知られていた。
モノは江戸時代後期に成立した『甲子夜話』。24巻9話に「麻芽の毒、狂を発する事」というエピソードがある。オリジナルに当たれず、公開されている『古事類苑』に収録されているものを読んでみた:
以下、現代語に抄訳:
ある日の坐話で聞いたのだが、麻の初生の芽を食すれば発狂するという。先年、谷中妙伝寺というところに早朝ある人が行ったところ、その住職・小僧・下男など皆が気を失ったかのように熟睡している。また見ると、仏壇の本尊から器具・戸・障子の類、ことごとく打ち破られている。その人不審に思い、眠っている者を揺り起こしても目を覚まさない。しきりに起こしてようやく目を覚ました。そこでその人は何でこうなったのかを聞いたところ、さてさてよく寝たものだ、昨日の夜は面白かったと言うので、それはどういうことかと尋ねたところ、打ち破れたものを見て大いに驚き、始めて狂の結末を知ったという。あの毒は消えれば元に戻るということか。
(あまり関係なさそうな酒の話や難しい漢文が出てくるので中略)
またあの寺で数人発狂したとき、十二歳になる子が、両手に箸を持ち、面白いと言いながら狂い出し、その次に住職が狂ったと言う。年少の者の腹の中のためだろうか、和尚が多く食べたせいだろうか。
『古事類苑』経由で貝原益軒『大和本草』に行きついて、ケシを見てみたら、ケシのタネの食用としての利用の他には若い苗を食べるという記述しかなく、ケシからアヘンを採取する記述はなかった。江戸時代に現在のドラッグの概念はなかった模様。
ヘソ出し/腹出し
ちかごろ若い女子のヘソ出しをちらほら見かける。25年ぐらい前にもあったなあ。
とは言え、そんな積極的に見せるものかねえ…
今は見ないが25年ほど前では「たるん」としたおなかを出した、ヘソ出しではなく腹出しとしか言いようのないものを見かけた。
何を見せびらかしたいのか知らないけれども、ヘソを出すからには、それに見合った腹部でなければ映えない。段腹は言うまでもなく、たるんだ腹部ではどうにもならない。
それでも意外に無頓着な女子もいて。横腹や背中部分。ベルトの締め付けだか何だか知らないけれども赤くなってたり。背中の肌がよろしくないとか。
こないだ小学校3年ぐらいの女の子がヘソ出しなのを見たけど、これは女子陸上のセパレート型ウェアのまねらしかった。これは、どうなんだろね?
銭湯:シャワーとテレビ
思い出も何も…むかし実家には風呂がなかったから。物心ついて小学校2年生までは銭湯だった。小2のとき親が家に風呂場を作ったので、そこから内風呂になった。混浴禁止年齢は都道府県によって異なり、私の故郷では8歳以上が禁止。親が内風呂を作ったのも、そうした事情への配慮だろう。
昭和後期のイナカの銭湯になかったのはシャワー、あったのはテレビ。シャワーがないので、湯舟から桶でお湯を汲んで使う訳ね。
若い人たちがクルマで遠出して、秘湯に入ったなんて言う場合「シャワーあった?」と聞く。私に言わせれば、シャワーのある風呂は秘湯とは言わない。
当時の銭湯では脱衣場の男湯と女湯の仕切りの、番台の反対側にテレビが置かれていた。これは昭和30年代にテレビというメディア・デバイスのプロモーションとして、店や施設からすれば客寄せとして、テレビが置かれていたのだ。今でもスーパー銭湯の休憩スペースにテレビが置かれていることがあるけど、これはそうした昭和時代のプロモーション客寄せの名残りであって。令和の世のスーパー銭湯のテレビには特に意味がない。
昭和末年に上京して、風呂ナシ物件だったけど、住んでたエリアに銭湯はそれなりに多かった。そのエリアをいま調べてみると、銭湯は1軒しかない。いつも行く銭湯は決まっていて(もちろん今はもうない)、休みだったら別の銭湯という具合。この時期そのエリアの銭湯にテレビはすでになかった。でもシャワーはあった。
その界隈の銭湯には謎ルールがあった。腰掛は長方形で、形としては足の付いたまな板。それがシャワーのところに置かれっぱなしなんだけど、上がるときには縦方向にするという暗黙のルールがあった。なんでそういうルールがあるのか疑問だったけど、みんなそうしてるから、そのようにしていた。
あるとき、疑問が氷解。目の不自由な人が入ってきて、ひとつひとつ腰掛を触る。そして、腰掛が縦方向になってるのを確認すると、それを横にして腰かけた。つまり縦方向の腰掛は、ここ空いてますということを示すためだったのだ。
東京は冷たいのなんのかのイナカモンは言いがちだけど、こうしたクールな思いやりこそが東京の本質なのね。
昭和最後の春にヨソへ移住して、それ以降は出張なんかでタマに東京へ出かけるのだけど、そうした東京的なクールな思いやりというのが薄れてきているように思う。つまり、東京一極集中なんていうけど、昭和時代いっぱいまで東京は東日本ローカルの都会だった。それがバブル平成になって西日本からも大挙して移民がやってきて、西日本ルールを押し通すようになってしまったみたい。
ソバなんか最たるもので、平成中期以降ツユが妙に甘ったるくなった。あんな甘ったるいツユでは「たぬきそば」特に冷やしたぬきが味として成立しない。まったく残念だよ。
さて平成になって、実家から片道10kmほどのところにある公設の温泉の銭湯に通うようになった。天然かけ流し温泉だけど、温度がやや低いため重油ボイラーで加温。公定価格の約半額で、帰省したらほぼ毎日行くので回数券を買って使う。シャワーはある。
テレビはないけど、かつてテレビを置いていたであろう、なにも置かれていない台だけが残っている。若い人はそんな台がなぜそこにあるのか分からないだろう。
