べく・べから・べく・べかり・べし・べし・べき・べかる・べけれ・べかれ
公教育は国策である。
国民が産業の労働力ないし軍事力として使いモノになるように、一定の知的水準を与えることが目的である。
その国策たる公教育が目標とする「産業の労働力ないし軍事力」と、現実の国内外の社会・産業・政治の情勢との間に乖離があったとしたら、どうなるだろう?
そのような場合、公教育は役立たずということになる。
公教育は国策であるからして、成果の目標を策定して定める。
そして、「かくあるべし」という公教育のあり方が定まる。
その「かくあるべし」が現実と乖離するとき、子どもは、教員は、「かくあるべし」と現実との両者によるダブル・バインドに苦しめられることになる…というか、ただいまそのダブル・バインドが絶賛発生中なんだよな。
さて、冒頭の記事。尾木ママが言ってますねえ。
一方で「どんな親や子どもにも、きちんと対応していくのが公立学校だ。教員は部活などに費やす時間が長すぎて、保護者と十分なコミュニケーションをとって信頼関係を築けていない」と指摘。「十分な対応ができるようにするためには、働き方も見直すべきだ」としています。
教員の働き方/働かせ方の問題じゃないっつーの。
だから、教育の「かくあるべし」論は大嫌いだ。