私自身は純然たる九州男児ながら、高校を卒業してすぐ上京。東京のソバつゆ、醤油ラーメンにまごつきながら多少の自炊もやり、九州の醤油は絶望的に香りに欠けると悟った。だから私は九州の醤油を刺身と卵かけご飯以外には使わず、料理にはキッコーマンと名古屋の白醤油を使っている…関西に住んでいたこともあるが、あの薄口醤油は非常に使い方が難しい。それに比べて白醤油は、量を多少まちがえてもどうにかなるので。
九州の醤油が甘いことについて、父が戦後に現在のような醤油が登場して、味に感動したと言うのを聞いていた。
九州の醤油は、アミノ酸液を添加し、さらに甘草エキスなど甘味料を添加して、ドロリと甘く仕上げる。
台湾に行ったとき高雄市でチャチャっと某デパートの地階を回ったが、普通の日本人の背丈&横幅ぐらいの醤油の棚は九州の醤油が席巻していた。台湾南部の人の嗜好に合っているのだろう。
父の言からして、このような添加物は戦争直後の物資不足から生まれたものだろうとは思っていた。けれども、きちんとした文献が見当たらない。
KIKKOMANのおいしい挑戦~アメリカ進出50周年~ 館内展示パネル キッコーマン国際食文化研究センター
このページから、確かに戦争の頃の大豆&小麦不足でアミノ酸液添加が始まったことが裏付けられる。
さらに調べてようやくアカデミックな文章に行き当たった:
宇都宮由佳『山口と九州の甘いしょうゆの形成要因 ― 再仕込みしょうゆの広がり、混合醤油』、FOOD CULTURE No.29, pp. 15-20、キッコーマン国際食文化研究センター、2019年(刊行月日不明)
https://www.kikkoman.co.jp/pdf/no29_j_015_020.pdf
山口を中心として、せいぜい佐賀までの範囲の文章だけど、やはり戦中から終戦直後の物資不足でアミノ酸液添加が始まったとある。
さらに、アミノ酸液には独特の臭いがあるため、これを抑えるために糖蜜などを添加したと。この糖蜜とは、時代背景からして製糖原料のクリアな糖蜜ではなく、サトウキビから糖蜜を作る段階で発生するモラセス(廃糖蜜)のことだろう。カルディや成城石井なんかで製菓材料売り場に置かれているので見たことはあるけど、お菓子を作る趣味はないので買って味わったことはない。非常にコクのある味だという。
それが戦後になって人々が甘さを求めたため、
なるほど、あり得る話ではある。
しかしこれだけ豊かになったご時世に、アミノ酸液やらの添加というのはいかがなものか。私の郷里では見かけないが、鹿児島ではサッカリンを規制量めいっぱい、九州北部ではその半分程度と宇都宮氏は述べている。
それだったら再仕込みの工程(宇都宮氏の文章1ページ目右上)の工夫で、完全無添加の甘くて香り高い醤油が作れそうなものを、なんで作らないのだ?九州人がすでに慣れているのに加えて、コスト問題があるのかも知れない。しかし熊本のフンドーダイが
mrs.living.jp“醤油は黒い”を覆す「透明醤油」が爆誕!汚れないから小さい子どもがいる家庭にも◎|くらしのアンテナ | リビングくらしナビ (web.archive.org)
とある東京のデバ地下で見つけ、手に取ったけど、完全無添加と謳いながらトレハロースがバッチリ添加されてて、こりゃ甘いだろうと棚に戻した。こういうのを作るより、完全無添加の甘口再仕込み醤油を作った方が良いと思うのだが。
私の知る限り九州で完全無添加の醤油を作っているのは長崎のチョーコー(ここは昭和中期以来と古い)に大分のフンドーキンぐらいだと思う…他にもあるかも知れないが。しかしどちらも味は確かめたことはない…量が多くて高いので。