ハインライン『夏への扉』を読んでみた。

 

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 これまであまりSF読んでない。

 

中学校んとき担任が学級文庫つくるって、手持ちの文庫本を山と持ってきて、これがすべて日本のSFだった。星新一とか、幻魔大戦より前の平井和正とか、そう いう短編集…ショートショートというのか。ぜんぶ読んだけど。大学に入って、外国のSFをつまみ読みした。J.P.ホーガンとか。古典と呼ばれるモノはオーウェルの1984しか読ん でない。

 

んで、このトシになってポツリポツリと、外国の古典のSFを読みだした。ま、気分で。アシモフ『われはロボット』とか。ハインラインは『月は無慈悲な夜の女王』。

 

さてハインライン夏への扉』を買った。新訳版。日本のSF読みの間では人気があるけど、それ以外の人達の間ではそれほどでもないという。読んでみた…

 

びみょー。

 

主人公はダン。まずモノとしては、現代に引き直すとロボットのベンチャー起業家の物語になる。しかしベンチャー起業モノとしては、あんまりおもしろくない。ダンと、仕事のパートナーであるマイルズ&ベルとの確執が、ぜんっぜん物足りない。フェイスブックザッカーバーグを描いた映画『ソーシャル・ネットワーク』に比べても桁違いに、つまらない。

 

現在・未来の科学技術をガジェットに使うのがSFのお約束だろうけれども、これがまた何とも古臭い…というか、書かれた1957年時点では最先端だったかも知れないけれども、現代のロボット工学では大学の学部レベルの常識のことしか出てこない。ロボットの駆動・制御をやるパーツにしたって、いまどきアキバで普通に売ってるモノしかないもんね。

 

ロボットをコントロールするコンピュータ類は?と読んでたら「トーセン管」なんて訳わからん素子が出てきて、はらほろひれはれ。トランジスタは出てくるので調べたら、ICの登場は1960年代。仕方がないからトーセン管なんて素子(どうせ真空管の類)を持ち出したんだろうけれども、『われはロボット』の陽電子頭脳ほどの説得力もない。

 

んでダンがマイルズとベルにハメられて、1970年から30年間のコールドスリープ→目覚めたら昔の記憶と現状が食い違ってる→マッド・サイエンティストと出会って、過去へ行くのか未来へ行くのか分からないタイムマシンで30年飛ばしてもらった→運良く30年前に飛べて、いろいろやった→また30年間のコールドスリープ、そして大団円。うーん…

 

その大団円というのが、1970年の時点で11歳だったマイルズの義理の娘であるリッキーと結婚というもの…このへんの経緯が、さっぱり分からない。とにかくダンがタイムマシンで1970年に戻ったとき、21歳になったらコールドスリープに入って2000年まで僕を待ってておくれと頼んだ訳で、リッキーはそれに応じたのだけど、これがぜんっぜん分からない。

 

1970年の時点でダンは30歳、リッキーは11歳。まあ、ロリである…とは言え、性愛の対象としてのロリではなく、「おままごと」のレベル。そんなら純愛ロリ物語として成立しているかというと、ふたりの関係の書き込みがまったく足りず、ベル(性悪な詐欺女)に対してリッキーが焼き餅を焼くぐらいのことしか書かれてない。リッキーがダンの頼みを律儀に守って21歳になってコールドスリープに入ってダンを待ってくれた理由が、まったくわからない。(純愛)ロリコン小説としても成立していない。

 

ネコ小説とも呼ばれるそうだけれども、言うほどネコ(ピート、別名ペトロニウス)は出て来ないし、ネコが重要な役割を果たしているでなし、ネコへの偏愛が見られるでなし。とうていネコ小説とは呼べない。

 

ま、凡作です。筒井康隆時をかける少女』はラベンダーの香りでメゲる私だけれども(数年前に図書館か本屋かどっかで手に取ってみたけど、やっぱりラベンダーの香りのとこで棚に戻した)、こいつは、とりあえず通して読める。

 

あえて良い点を挙げれば、主人公のダンの、一般顧客が家庭用ロボットに求めるモノが何であるかの分析が的確であること。エンジニアとしてダンは優秀である…この一点しかない。

 

曽野綾子の『太郎物語』みたいなもんか。