US Hits 1964-1970

YouTube でプレイリスト作ってみました:

 

US Hits 1964-1970 - YouTube

 

 自分が生まれる前から幼い頃のアメリカのヒット曲というのがどういうものであるかと思って。

 1964年のアメリカは The Beatles が本格的にアメリカに進出して、音楽業界が対応を迫られた時期。そこから The Beatles の解散の1970年までというククリ。

 社会情勢としては、公民権運動が一定の成功を収めた(黒人差別は依然として残った)、ところがベトナム戦争は泥沼化して、反戦運動が盛り上がった。それとどう連動するのか良く知らないが、ヒッピーなんて人たちが出てきた。

 この時期はちょうど The Supremes がブレイクして、最終的には Diana Ross が脱退してソロになった時期でもある。これは公民権運動の成功の賜物と見ることができるだろうか。また1970年には Jackson 5 (兄弟グループで、お子様のマイケル・ジャクソンがリードとってた)も出てくる。

 そいや後年 Jackson 5 の日本版ということで、フィンガー5が仕掛けられたっけ。「学園天国」とか「恋のダイヤル6700」は今でも言及されるな。

 

 この時期の日本は、もちろん1964年の東京オリンピックというものがあったのだけど、音楽はというと、民謡系、浪曲歌謡(往々にして任侠系)、夜の街のオトコとオンナがどうのこうのという歌謡曲があって。中学校高校の教育現場ではそれらが低俗とされて、それで青春歌謡(学園ソング)なるジャンルが登場した。

 日本の音楽業界はアメリカを見てて、アメリカの業界はビートルズ対応で二番煎じというか亜流というか、そうしたバンドがウジャウジャ出てきてて(このプレイリストからは排除)、それでグループサウンズが仕掛けられたということのようだ。一方ではフォークソングなんてのもあって、それなりにヒットしていた。それを見て日本(の業界)でもフォークをやるようになった、ようだ。

 民謡系やら浪曲歌謡やらが演歌とくくられるようになったものの、これぞ演歌という概念はあいまいで、藤圭子宇多田ヒカル亡母)のデビューとブレイク (1969-70) でもって演歌というジャンルが確立した…元来が北島三郎は民謡系、美川憲一は青春歌謡から夜の街系への転向で、演歌ネイティブではない。藤圭子以降が演歌ネイティブで、五木ひろしとか八代亜紀あたりからになる。

 

 プレイリストは、いくつかの原則にもとづいて作りました:

 

1. The Beatles はあまりにも偉大であるから、あえて入れない(他の人がカバーした曲、メンバーのソロ作品は入れた)。もちろん The Beatles の亜流みたいなものも入れない。

2. Frank Sinatra だの Elvis Presley だの The Beach Boys だの The Ventures だのといった「いかにも」アメリカの白人な楽曲は入れない

3. 甘い歌(特にラブソング)は原則として入れない…だから Dionne Warwick なんて大御所であっても3曲しか入れていない

 

 en.wikipedia.org にある billboard.com の年間ホット100と、billboard.comの週間チャートでトップを取った曲を、これは要らない、これは入れるとザクザク断捨離して作った。取りこぼしがあるかも知れない。作ってて、あれ?ああいう曲があったよなと思ってチャートを調べたら入ってなくて、それであえて入れた曲もある。

 

 自分自身があまりアメリカの白人の音楽を面白いと思わない人間だから、どちらかといえば黒人寄りかも。

 

 この時代のアメリカの音楽の状況がある程度は分かると思います。ヒッピー系の音楽は基本的にアングラで、ヒットチャートにのぼるものは数少ないので、そうした曲はこのリストには数曲しか入ってないと思う…けれどもビートルズがそういう系の音楽と相互作用的に楽曲制作しているので、ビートルズを聞けばそういうのはわかると思う。

 

以後、思い付き的に曲紹介していくかも。