砂糖屋の遠か

 砂糖屋の遠かというのは長崎のことばで、料理がしょっぱいことを指す。

 

 でも良く考えてみてほしい。砂糖屋って、そんなに昔っからあるものなのか?

 

 むかぁし昔、砂糖は大変な貴重品で。狂言に『附子ぶす』という演目があって…内容はぐぐってちょうだい。そのころ砂糖は非常に貴重な輸入品であったことを物語っている。

 江戸時代になると日本国内でもサトウキビが栽培されるようになるけれども、それでも貴重であったことに変わりはなく。

 

 長崎は鎖国下でも開かれた港であり、輸入された砂糖が豊富だったのらしい。そういう事情から長崎で、そのような言い回しができたということのようだ。

 

 私の子供の頃でも砂糖は近所のなんでも屋さんで斤の単位で買うものだった。おつかいで買いに行くと、おっちゃんがでっかい壺の木のフタをあけて、スコップですくい天秤で量って、紙袋に入れてくれたものだ…

 と改めて調べたけど、メートル法完全施行直前において1斤=600g だったけど、紙袋はそれよりずっと小さかったように思う。当時一般的だった斤とは違う英斤(450g)だったのかも知れない。

 

 とにかく砂糖というものは、そんなどこにでも売っているというモノではなかった。私の郷里は城下町だったし、そこいらの店でそのような売り方をしていたのだけど、地元よりさらにイナカな土地では、店に砂糖というものを置いていなかったことだろう。

 

 それじゃあ昔、砂糖は高かったのか?とデータを調べたけど、良い数字が出てこない。とりま

東京での砂糖の価格の推移

東京区部での砂糖の価格の推移(消費者物価指数で割り戻し)

 良い長期データがなくって。東京都の区部での砂糖1kgの価格データはあった。

 それを現在価値に引き直すのに長期の消費者物価指数が欲しかったのだけど、なんか正体不明のモノしかなくて。あくまでも目安と考えてもらえれば。

 

 昭和20年代後半はまだ戦後の混乱があったからクッソ高かったのだけど、昭和30年代は現在の価値でおおむね1kgあたり400円ぐらい。それからボコッと上がってるけど、これは東京オリンピック関係だろう。それから右肩下がり。少しピンと上にハネてるのはオイルショックだ。それ以降はズルズルと右肩下がりで、平成中期はおおむね1kgあたり200円になっている。

 

 平成中期に比べ昭和30年代は約2倍だったのだから、それより前はもっと高かったはずで。

 

 今やどんな田舎の店でも、精白糖1kgポリ袋詰めが入手できないということはないはず。

 とは言え砂糖屋という専門店、業務用や卸売業者はともかく、一般向けの砂糖屋というものは、さすがにないだろう。

 

 砂糖屋は近いような、遠いような、あるいは存在しないような…