稲荷寿司とマイルドヤンキー

なんしろ、あちこち渡り歩いてるから。

 

きのうマックスバリュで買い物してて。

かるく寿司類を食いたいなと思って売り場をみたら、稲荷寿司が三角。

アタマにきた。

 

稲荷寿司は大雑把に言って、東日本は四角、西日本は三角。

現在わたしが住んでいるのは四角の地域。

そんな土地で三角の稲荷寿司を売るとは。

 

私の田舎は稲荷寿司が三角の地域。

しかし昔から三角の稲荷寿司を作ってきた店はすべてツブれた。

そしてマックスバリュは四角の稲荷寿司を売る。

 

味は同じだけれども、形の違いは重要だ。

稲荷寿司がどのような形であるか、またどのような味付けであるかは

ウィキペディアに詳しい。かなりの地域差がある。

 

三角の地域で四角を売る、四角の地域で三角を売るってのは、

暴力的な地域文化の破壊行為にほかならない。

 

 

私の田舎ではお盆に迎え火や送り火をする風習がない。

それなのにイオン・マックスバリュは苧殻を売る。

もちろん売れない。売れなくとも腐らないから良いけど。

これまた地域文化を無視した商行動であり、容認できない。

 

 

私の田舎にもケンタッキー・フライド・チキン (KFC) はある。

けれども本当の地元の人間なら、絶対にバーレルを買わない。

 

なぜかと言えば、鶏の丸焼きを売る店が複数あるから。1羽1,650円(税込)。

家庭で、ちょっとしたゴチソウとして鶏を食うって場合、丸焼きを買う。

オトナ2人で1羽が目安。

イエではキャベツの千切りとゴハンを用意しておく。

丸焼きと千切りキャベツとゴハンで、立派なゴチソウだ。

 

現在 KFC の12ピースのバーレルが2,940円(税込)。

サイドメニューいろいろ買えば4千5千いくだろう。

地元の人間であれば、まず100%バーレルは買わない。

丸焼きの方が安上がりだもん。

 

もちろん私は KFC 否定する気はない、それどころか KFC は大好きだ。

でも、「おひとり様」セットを買うのがせいぜい。

他に何人もいるって場合は丸焼きを選択する。

 

それでも田舎で バーレル を買う人たちは一定数、存在する。

 

 

多分それは「マイルドヤンキー」と呼ばれる層だ。

 

郷里の稲荷寿司が三角なのは、伝統的に関西文化の影響が強い土地だから。

 

そんな地域文化に疎い人たちにとって稲荷寿司は、

三角だろうと四角だろうと食ってしまえば味は同じ。

どっちでも良いのだ。

 

作る方も作る方で、味は同じだから形はどっちでも良いって話。

 

自慢じゃないけど(実際問題として資産はゼロに近い)

ウチは完全に地元民だ。京都基準でも古いオウチの部類。

それが地元の高校を卒業して全国あちこち渡り歩いてるものだから、

余計に地域文化の差異には敏感。

 

 

おそらくマイルドヤンキーと言われる層は、どうにも農民的で

(××というコトバはマズいらしいので「農民的」という表現を使う)

昭和いっぱいで物質的には豊かになったけれども、

地域の文化というものを持たない。

 

昭和末期の竹の子族なんて、東京都民ほとんどいなかったと思う。

チバラギと言ってたな。千葉とか茨城とか、

あの辺の人たちが遠征して来てた訳だ。

 

地域の文化を持たない、あっても実に薄い。

だから自分たちの「文化」を創ろうとする…

けれどもベースの地域文化を持たないから、

結局は俗悪な物事のパッチワークになってしまう。

 

それが竹の子族であり、現代ではYOSAKOIソーランなのである。

 

YOSAKOIソーランは、札幌で冬場は雪まつりがあるけど

夏場に観光客を呼び込める目玉イベントがないからとデッチ上げられた代物だ。

最近は、札幌市民にも不評なのらしい。

んまあ良識と、一定の文化資本を持つ人間からすれば、

どうにも俗悪でしかないからね。

 

 

文化資本ブルデューの概念だけど、

マイルドヤンキーってのは要は

地域に集積されている文化資本と縁遠い人たちじゃないの?

 

地域社会をまとめあげる役割を果たすような

文化資本ってもんがあるんじゃないのかな?

 

とりあえず、ざっくり調べてみた。

 

ブルデュー本人は文化資本社会関係資本・経済資本と言ってるようだが、

ブルデュー社会関係資本は、ずばり人脈のことらしい。

 

その人脈を成り立たせるようなタイプの文化資本はないのか?と調べたら、

日本ではカタカナで「ソーシャル・キャピタル」と表記されるものが

私の考えるような文化資本に相当するらしい。

 

英語では social capital だけど、

別の分野で「社会資本」というコトバが定着しているから

区別するためカタカナで書くのらしい。

 

けれども、そのソーシャル・キャピタル

私が考えるようなモノとは、かなり違うようだ。

 

ソーシャル・キャピタルを成立させ維持させるような、

地域住民で共有されるような文化資本の集積というのがあるのではないか?

 

 

そういうタイプの文化資本の集積と縁の薄い人たちが

いわゆるマイルドヤンキーであるように思われる。

 

マイルドヤンキーは無駄に地元愛が強いのだけど、それには根拠がない。

地元の人間としてのアイデンティティとなるような文化資本に欠ける。

 

 

関西の人に言わせると「お稲荷さん」が三角なのは

キツネの耳をかたどっているのだという。

もちろんキツネは、稲荷神社の神様の使いである。

 

しかしマイルドヤンキーにとって、

それは自分にとってどうでも良いことである。

三角だろうと四角だろうと、食ってしまえば味は同じ。

 

これが、稲荷寿司の三角・四角問題の核心だ。

 

 

お稲荷さんが三角であるイワレを共有している人と、

それを共有していない、あるいは共有しない人とがいる。

 

このイワレが、地域社会をまとめあげる文化資本であり

それを共有する人々が地域社会の正規の成員であって

そうでない人がマイルドヤンキーということになるだろう。

 

「疎外」というコトバは、あたらないだろう。

マイルドヤンキーは、それを共有しない、共有する気が希薄というだけ。

共有するチャンスから疎外されたとは言えるかも知れないけど。

 

 

何にせよ、私の田舎に引き直せば、

稲荷寿司の形をいちいち気にせず、食ってしまえば同じ、

仲間ウチでトリ食うってば KFC でバーレル買う…

 

地域社会をまとめあげる文化資本を共有しない人たちなのである。

 

ブルデュー文化資本の概念とも、また違う。

 

ブルデュー文化資本は「階層」の差別化装置として機能する、

ある意味タチの悪いシロモノだけど

この種の文化資本は、別に共有しなくとも普通に暮らしていけるのだし、

共有してる側にとってもブルデュー文化資本と違って

「あいつらは」ナントカというスティグマの根拠とはならない。

 

ただ、わたくし個人としては

YOSAKOIソーランが俗悪でうっとうしいので、

この辺どうにかしてほしい。

 

だれか研究する人はいないものかねえ…