「鬼母」と言うは、たやすい。
でも良く良く考えてみると、
ヒトをモノとして扱う風潮が蔓延しているのであって。
ブラック企業やらブラック・バイトだって…
人間を労働者としてではなく、
生産手段であるモノとして使い捨てしてる訳だ。
生まれ育った環境でもって、自分がモノとしてしか扱われていなければ、
自分も他人も単なるモノとしか捉えられなくなるだろう。
そうなるのが当たり前だ…
そういう環境に生まれ育てば、ヒトは必然的にそうなる。
私は論理的に言っているに過ぎない。
鬼母と責めるヒトは幸いである…
大多数の人は、そのような成育環境を経験していないから、
あるいは、そのような成育環境が存在していることを知らないから
素直に非難できるのだ…
当の本人は、自分の育った成育環境が、そのようなものであったことを
そもそも気づいていないだろう。
問題は、貧困の連鎖みたいに
ヒトをモノ扱いする連鎖というものがありそうだ、ということ。
その辺の連鎖の…理論というのは言い過ぎだけど、
連鎖を生み出す枠組み、フレームワークを見つけ出して
クサリを断ち切る方法論は必要だろう。
「理論」は嫌いだ。
理論は、過去から現在へ至るまでのモノゴトを説明するには有用だ。
しかし未来というものは、過去~現在の過程を延長した直線の線上にない。
そういうのは無謀だと夏目漱石は1910年に『イズムの功過』で喝破している。
だいいち理論って、言わば愚者の鎧だからね。「理論武装」なんて言葉がある。
心理学なんかは、そのツールとして有用かも知れないが…
この手のガクモンは、それ自体に淫してしまうきらいがあるので。